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コロナ報道で飛び交う「言葉」への疑問

ここにきて、コロナ第3波の拡大の勢いが止まりません。今日も、尾身会長の「2つの未知がある。それは冬を迎えるということ、そしてワクチンの効果だ」という発言が報道されました。不安を感じさせるものではありますが、私はむしろハッキリと見解を表示している、と「必要な情報である」と受理しました。

最近感じるのは、コロナ報道で飛び交う「言葉」への疑問です。いや不信、と言った方が適切かもしれません。


2つ例示します。まずは政府などから発信される「マスク,手洗いなどの徹底を改めてお願いします」というメッセージです。これのどこがまずいか? 現状分析が皆無なところです。確かに、新規感染者数が急増しているというのは事実です。「感染経路は家庭内の比率が高まっている」「年齢層は中高年層によりシフトしている」というのも、よく解説されます。これらも事実でしょう。これ以上増やさないために、政府が国民にお願いするのが「マスク,手洗いの改めての徹底」だというのですがが、よく分からない。それが有効な対策であると言うのなら、「現時点までで、どれだけ“徹底できていないのか”。その不徹底さが、今の感染拡大の主要な原因である」ということを、データに基づき説明されなければいけない、と思います。果たして、オンゴーイングなこの「コロナ感染急拡大」という問題に対して、十分なデータに基づいた解析は不可能だというのが現状ではないかとは推測します。だからこそ、「マスク,手洗いの徹底」ということしか言えない、言うことがないというのが、政府側の本音だと思うのです。

でも、本当にそうなのでしょうか? いわゆるレギュラーなナチュラルサイエンスでは、エビデンスにするのは不十分だとしても、何かそういう実証的なデータは全く存在しないことはないのではないかと思うのです。そういうのは、今の日本ではないのでしょうか? と、疑問に思っているので、自身で時間を使ってネット上などで探してみようとは、今、考えました。とにかく、何の芸もなく、「改めての徹底」をお願いされても、少なくとも、今までそれなりに徹底してきた人たち(私もそのつもりです)にとっては、正直、単なるスローガン連呼にしか聞こえないんです。聞かされる方は、「これ以上何をすればいいの?」と不満がたまるだけです。

何とか今世の中にあるデータを、知恵を絞って解析すれば、「本当にマスク,手洗いができていない人々は、より具体的にはこういう行動をしている。だからこういうことをやっている方々は、明日から、こうやって行動を変えてもらいたい」みたいなもう少し有効性がマシなメッセージくらい出せると思うのです。もちろん、確固たるエビデンスはないとは思います。それを立場がある人たちは嫌っているのかもしれません。責任が取れない、と考えるのかもしれません。でも違いますよ。何か言うと責任が取れないから、無毒な(だからこそ無効な)メッセージを出すだけというのは、最悪な責任放棄ですから。


もうひとつは、「不要不急の外出を控えて」というのですね。これは本当に分からない。「不要不急」の基準が不明だからです。最近、イギリスかフランスだったのですが、ロックダウンを緩和する段階で政府が示した基準が『3家族までなら集まつことを許容する』とかでした。具体的ですね。もちろん、日本は欧米で実施しているロックダウンを発令する法律がない、という条件の違いは大きいです。日本政府とすれば、どうせ法的な強制力はないのだから、具体化しても有効ではないと考えているのかもしれません、本音です。でも私はそうは思わないです。「不要不急の例」として、具体例を複数列記する方が、はるかにマシだと思います。もちろん、その具体例に対して賛否は発生するでしょう。政府を批判したい立場からすれば、かっこうの“攻撃材料”として揚げ足を取ってくるかもしれない。でも、そういう批判を(面倒だから)避けるというのは、不誠実な対応です。不要不急という、万人によって捉え方の幅が無限になる形容詞は、結局のところ、何も言っていないに等しいです。この、いかにも何かそれらしいことを言っているようで、何も言っていない、というのは、最悪の欺瞞だと思うのです。意訳すると「気をつけましょうね」ということに過ぎないですから。


以上、最近気になった2つの例を挙げました。情報を受け取る我々の方は、「コロナで世の中全体が未経験の事象だから、仕方ないのかな」と簡単に納得しないことが肝要だと思います。「おかしい!」と思って、異議を唱えていかないと、報道で使用される言葉は劣化の一途を辿ることは間違いないですからね。

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コロナ患者新規発生数の、表示の仕方...そのあるべき姿は?

コロナ第三波、ということで、毎日のテレビニュースも連日「本日のコロナ新規感染者は」を、トップ扱いにしています。そこで改めて思うのは、「明確な基準をもって状態を評価した報道をするべきだろう」ということです。だいたいにおいて、今メジャーなのはこういう“基準”です。「100200300人というラインで、それを超える/超えないというのを強調する。例えば、200人と基準にして、『〇〇日連続して200人超』とか、『〇月〇日以来の、200人超』とかですね。

もう、こういう感覚に訴えるだけのデタラメな評価の仕方は止めてもらいです。私は重要なのは、以下の2つだと思っています。①過去1週間の平均発生数,②都道府県単位の人口比の発生率。①については、曜日毎のトレンドがあることが明確じゃないですか。「(木)がピークで、(月)が最低」というサイクルを繰り返しているわけであって、それを是正して増減トレンドを認識するなら「過去1週間平均」で評価すべきです。②については、テレビニュースで定番になっている日本地図上に都道府県別に発生数だけを表示する、というやり方がよくないという意図です。人口数の増減があるのだから、人口比の発生率で評価しないと、例えば「北海道と東京ってどっちがより重篤なのか」明確に認識できないです。

とつらつら書きましたが、どれも基本的な“算数”の話です。どうしてテレビニュースで、こういう観点でのデータ提供をしないのか、その理由がよく分からない。推測するに、先ほど書いた『〇〇日連続して200人超』というテロップの方が、分かりやすいというかセンセーションを煽りやすいという、しょうもうないプロモーション意識ではないかと思います。もしそうなら、実にくだらないですね。

まぁこういうことも、ひとつひとつ「おかしいと思うよ!」と声を上げていかないといけないんだろうな、と今は思っています。

『35歳の少女』...毎週緊張して観ています。

もともと、『同期のサクラ』と同じ脚本家の作品、ということで期待感があり、見始めたのですが、期待に反しないですね。遊川和彦さんという脚本家だそうで、私、脚本家までそんなに着目して見るほど“ドラママニア”ではないのですが、この方は今後も要注目だと思います。最初は、「この設定無理があるから、見ていても現実感がないというか、ちょっと笑っちゃうような感じになるんじゃないか」と予測していました。でも全然そうではなかったです。無理がある設定なはずなんだけど、望美(柴崎コウ)に思わず感情移入して入り込まされてしまうんです。そういう意味では、丁寧に作っているんだと思います。リアリティをもたせるって、大変なことなんですよね、たぶん。
とにかく、なんか、ドラマの約1時間ずっと緊張感があるんですよね。観ていて安心できないという。「望美は、これからどうやって生きていくんだろう? 大丈夫なのかな、ほんとに」 そんな感じで。この前の回も、幼少期の思い出にシンクロして、望美が母親の時岡多恵(鈴木保奈美)に手紙を読んで謝るというシーンがあって、果たしてお母さんは望美が切望するように、笑ってギュッと抱きしめてくれるのだろうかと、ハラハラしてしまいました。だから1回見終わる度に、疲れています。そういう意味では『同期のサクラ』も、そこまでじゃないけど、似たような空気感がありました。それにしても、坂口健太郎,橋本愛,田中哲司とか、演技達者な感じがいいですね。それぞれの、キャラクターの“ダメ感”をうまく表現している。そうそう、それと、このドラマいつもいきなり始まって、最後の最後にタイトルバックが出てそのままエンディングに新たなシーンを流しながら終わる、というスタイルが新鮮です。「次週予告」がないんですよね。こういう細部にまで、緊張感を強いる演出が効いているよな、と。
今から、ラストが読めないです、まったく。すっかり心が通い合わなくなってしまった家族4人は、最後はまた繋がりを取り戻せるのか? 果たして、望美は、これからどうやって生きていくのか、確かな希望をもてるようになるのか、引き続き心地よい緊張感を感じながら見届けたいと思います。

徳光和夫氏への嫌悪感

別に積極的に見ようという意思はからきしないのだけど、日曜くらいだろうか、たまに『路線バスで寄り道の旅』という番組を目にします。レギュラーメンバーは徳光和夫と田中律子さん、たいがいもう1名女性ゲストを迎えてロケが行われています。別にこの番組でなくても“徳光和夫の発する自画自賛大物感”にうざったさを感じることが多いのですが、この番組での徳光和夫は、別の意味で酷いですね~。この前見たのは女優の笛木優子さんがゲストだったのですが、とにかく徳光の“始終セクハラ発言”が、ほんと気持ち悪いし、うっとおしいんですよ。間違いなく、徳光はそれがセクハラだなんて微塵も思っていないです。むしろ「キレイな女性をゲストに迎えて、女性が喜ぶようにサービス発言をして番組を盛り上げなければ」くらいに思っているはずです。まぁ、30年以上前の日本であれば、それがフツーだったんだと思いますよ。そうそう、具体例をひとつ上げると、「結婚されないんですか?」「こんな方にプロポーズしないなんて、あなたが拒否するオーラを出しているんでしょ」とか、たわいないと言えば、たわいないですよ。だからこそ、逆に言うと質が悪い。何故かというと、言っている本人は、まったくセクハラだと認識がないから、悪びれずにグイグイその話題を繰り出していくんですよ。止めようがない。

もちろん、番組ですから、笛木さんは文句ひとつ言わずニコニコしています。でも、(勝手に推測しますが)もし再度ゲスト招聘の話があったら、断るんじゃないかと思います。田中律子さんあたりも、指摘してあげたらいんじゃないかと思います。でも、いや、徳光は田中律子さんくらいに言われても、馬耳東風かもしれないなぁ。でも、さすがに「これはひどい」ということで、番組後に、ディレクターなりそれなりにエライ人が「もうそういうの誰も期待していないし、面白くないですから」と適切に指導しているんじゃないかと思いますけどね。

とかいろいろ思うので、徳光和夫がこの先行動を改めるかどうか、若干だけ興味はあるのですが、繰り返しますが、基本的に徳光をテレビで見たいとは思わないから、行動を確かめるためにわざわざ『路線バスで寄り道の旅』にチャンネルを合わせよう、という気にはとてもじゃないけどなりません。ただ、おそらくは、「あ~この歳のオヤジって、もう今更骨の髄まで染みついた、バブル期までの“セクハラ作法”が死ぬまで抜けないってことなんだな」という感想を、もつのだろうと、ほぼ確証に近いくらいの予測をしています。あと、そうそう、この前見た笛木さんの回って、誰もマスクとかしていなかったから、もしかしたら再放送なのかもしれません。それもこの際、どっちでもいいか、って感じですけどね~。

 

追伸:ネットでググると、「路線バスで寄り道の旅、での徳光和夫の態度が悪い」という記事がヒットしました。セクハラのことが書いてあったわけではないですが。でも、彼に嫌悪感を感じるのはフツーの感覚なんだろうな、と思いました。

コロナ禍に思うこと、あれこれ。

<日本は決して慢心してはいけない>

525日、緊急事態宣言が解除されました。例によって、プロンプターを棒読みの心を打たない安倍氏の記者会見がありました。まぁあれは、官邸スタッフが用意した原稿なので、安倍氏自身が考えた言葉ではないとは思います。けど、看過できなかったのは、さっそく「日本のコロナ対応は成功した」的に自己評価していたところです。これは絶対におかしいです。だって、まだコロナは収束していないのですよ。フツーの知見として「第2波は必ず来る」と警戒されているのです。事実、最近の報道では世界各所で、「第2波ではないかと思われる患者の再発生」が起こっているのですよ。そういう段階で、大事なのは「成功した」などと決して思わないことです。そうではなく、「この1月からの取り組みを徹底的にレビューして、第2波に対する備えの確実性を高めるための対策を確定させる」。それこそが重要なのです。「日本は成功した」的な発言は、それを阻害します。(断わっておくと、不必要に悲観するのとは違うつもりです。念のため)
ところで諸外国のトップも、それぞれ自画自賛的な会見をしているようです。まぁそれが、為政者に共通する本質だとも言えるのでしょう。とにかく、「有事の対応が成功するかどうか(=国民から成功とみなされるかどうか)が、政権の命運を左右する」という“危機意識”だけは強いという。だからこそ、我々は、政権側の「コロナ対策結果の自己評価」は思い切り割り引いて理解をしなければいけないです。少なくとも、一部芸能人が発信している「安倍首相に感謝!」みたいな反応を取るべきではないのです。政府の対策に対して、「批判はやめて一致団結しよう」と情緒的に反応するのではなく、常に冷静にクリティカルに評価する目線をもつべきなのです。


<最重要なのは、忌憚なき根本的な要因分析である>
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月から今までの、日本政府の、細かく言うと官邸だったり、厚労省だったり、あるいは、各都道府県知事だったり、本当に試行錯誤してやってきたのだと思います。だから、結果として「間違っていた」としても、それ自体は問題ではないってことなんですよ。間違ったのだとしたら、「何がダメだったのか」という要因を可能な限り緻密に分析して、課題を明らかにする。これの繰り返し、日本全体で知見を総合する。これこそが重要なのです。理念はただ一つ、「国民の生命・健康ファースト」です。どうしても、官公庁や政治家は、「自己保身ありき」という行動特性が、本来的に備わってしまっている、とは思います。そういう前提で、いかにそれを打ち捨てて、本当の意味でレビュー(振り返り)できるか。政治家も、役人も、学者も、マスコミも、その問題意識をもって、対策の検討を行ってもらいたいと切に願います。


<グローバルな情報収集/分析が重要である>
その「根本的な要因分析」ですが、是非、日本だけの情報ではなく、グローバルに各国の情報を的確なリテラシーの元分析してもらいたいと思います。テレビ、新聞などでも、「イタリアはこういう状況」「アメリカはこうだ」「ドイツは成功していている」云々、センセーショナルな感じでトピックス的に紹介されるケースが多いです。そういう表面的な評価にとどまらずに、例えば「各国の医療制度,医療品質を比較して、何らかの定量的な評価を加味した上で、評価する」などの工夫をしてもらいたいです。まぁ専門的な論文などでは当然、そういう比較研究もされているのだと思います。そういう知見を、テレビ,新聞という時間/紙面に制約のある一般的なメディアで説明しきるのは困難という面もあるのだとは思います。しかし、少しはそういうところに拘ってもらいたいと思います。また最近の報道では、「日本の人口当たりのコロナ死者数の発生率の少なさ」がフォーカスされています。これも、ともすると、安易な「日本は素晴らしい!自画自賛論」に飛躍するおそれがありますね。確かに、未知のコロナウイルスが、解明されない状態が続くのは不安です。でも、安心したいがために安易な結論に飛びつくのは完全に道を誤っています。

<専門家自体を俯瞰評価するキュレーションを>
「大きな社会事変(災害なども含む)が起こると、“専門家”がテレビを中心としたマスメディアに跋扈する」というのは、今までも継続して起こってきたお決まりのパターンです。今回の、コロナ騒動でも、連日連夜テレビには学者/医師が登場しました。今回改めて思ったのは、「専門家といっても考え方や立場は様々である」ということです。肩書だけ見ていても分からない、その方の「立ち位置」というか、そういうものを理解して、意見を受信しないと、「議論全体」が見えなくなってしまうな、と。典型的なのは、ものすごくざっくりいうと、「PCR検査推進派」と「PCR検査抑制派」という、2つの異なる主張があるなぁ、ということです。こういう場合に、短時間にある専門家の説明だけを聞くと、どうしてもその説明を正しい唯一の解である、と思えてしまう。だってある意味仕方ないですよね? 所詮、テレビを観ている人は素人ですから。「素人に分かりやすく解説する」ために専門家が登壇しているのですから。私も、当初は「PCR検査推進派」の専門家の意見に理があるように捉えていました。「そもそも検査の数を増やさないと、実態把握すらできない。諸外国の検査数と比べて、日本は桁が違うレベルで少ない。これは由々しき問題である」 そういう論調ですね。でも、あれこれネットの記事の紹介を受けたりしながら、調べてみると、「それは単純な捉え方で問題があるな」と思えてくる。(私は妹が保健所勤務で看護師の資格をもっているので、あれこれ教えてもらいました) だから、ここで重要なのは、「専門家自体を、その立ち位置により分類し、俯瞰評価するキュレーションの仕組み」ですね。まぁ言うのは簡単というやつだとは思いますけど。もちろん、ネットの情報をちまちま探していけば、そういう“良心的な”サイトにヒットすることもできるでしょう。でも、世の中の多くの人に影響を与えているという意味では、良くも悪くも、テレビというメディアは絶大ですからね。テレビでも、そういうキュレーション的な情報提示をやってもらいたいと思うのですよ。
そうそう、「PCR検査」について付け加えると、検査の目的をどう位置づけるか、ということで、専門家の立ち位置って見えてくると思うのです。一段具体的に言うと、①個別の患者の重篤化リスクの検知 or ②公衆衛生的なデータの精度向上 、この2つのどっちなんだ、と。(①は抑制派、②は推進派、にリンクしていくと思います

プロフィール

gama73chan

Author:gama73chan
1966年、大阪府出身。
現在は東京都在住の会社員です。
人生の目標は、
「なりうる最高の自分になって世の中の役に立つこと」
です!

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